東京高等裁判所 昭和53年(う)754号 判決 1978年7月10日
被告人 所勝己
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人中村順子、同雨宮真也、同園田峯生の連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官小野慶造の提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対し当裁判所は次のとおり判断する。
一、控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について
(一)所論は、被告人は原判示の交差点を左折するに当り、交差点内に入つてハンドルを左に切る直前はもとより、その手前約二八メートル付近で方向指示器によつて左折の合図をする際にもサイドミラーやアンダーミラーによつて左方及び左後方を注視し、安全を確認したのであるが、そのいずれの時も被害者は被告人の運転していた大型貨物自動車の左側を併進していて死角に入り、被告人においてこれを認めることができなかつたのであるから、被告人としては左折に当つての安全確認の注意義務を尽したものであるのに、原判決がこれを怠つた過失があるとしたのは重大な事実の誤認である、というのである。
そこで、本件記録を調査し、当審における事実取調の結果をも併せ検討すると、原判決挙示の各証拠によれば、本件現場は東京都板橋区南常盤台一丁目二番地先の環状七号線から弥生町に向け南東に約一〇〇メートル入り、石神井川に架けられた下頭橋の手前で左方は中板橋町に、右方は鋭角に東山町、略々直角に川越街道に向う道の同丁三番三号先の交通整理の行われていない交差点であつて、被告人は昭和五一年九月六日午後二時五〇分頃車長七・五七メートル、幅二・四六メートル、高さ三・〇三メートル、重量九四二〇キログラム、最大積載量一〇二五〇キログラムの大型貨物自動車(ダンプカー)を空車で運転して環状七号線から右道路に入つたが、同道路は幅員一一メートルの歩車道の区別のない、弥生町方面からの自転車を除く一方通行路で、被告人の行先でもあつた石神井川整備工事の現場へ出入のため工事用関係車のみは通行は許されていたものの、前示交差点手前三五メートル位から同交差点入口にかけて道路左側端から四・七メートル前後位の幅で下水道工事用の金網柵が設けられ、車両通行帯が狭くなり、自動車と併行する自転車との距離は一メートル前後にならざるをえない状況にあつたこと、被告人は、右道路に入つて中央線付近を進み、右金網柵手前で中央線から右側部分に入り、同柵の右側で交差点中心から手前約二八メートル付近で同交差点を左折するため方向指示器の合図を出し、同時に左サイドミラーにより左および左後方を見たが、人や自転車等特段のものに気付かないまま、時速一五キロメートルで前進し、交差点入口付近でやや右にハンドルを切り再びサイドミラーにより左後方を見たが、前同様異常に気付かなかつたので、そのまま左にハンドルを切つて左折を開始し約一〇メートル前進して被害者自転車に自車左前部を衝突、転倒させ車の下に巻き込んだことを認めることができ、とくに永嶋卓位の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書、司法警察員の作成した昭和五一年一一月一六日付、昭和五二年一〇月一五日付各実況見分調書(添付各図面写真を含む)によれば、被告人が前記のように左折合図を出した地点付近で、被害者はアンダーハンドルの自転車に乗つて被告人車の左側扉の左側〇・五メートル、金網柵から〇・五メートル前後のところに身体がある状態で被告人車と同速度で併進し、その約二メートル後方、被告人車の左中後輪付近を永嶋卓位が普通の自転車で同様併進し、そのままの状態で交差点左側入口付近まで進んで行つたことが明らかであり、これに、被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書、司法警察員の作成した昭和五一年九月九日付、昭和五二年一二月一二日付各実況見分調書(添付図面写真を含む)を併せ検討すると、被告人が交差点内でハンドルを左に切る際には右被害者も永嶋も被告人車の死角に入つて認めることができないが、その手前の、方向指示器に合図を出し左折態勢に入つた地点では、永嶋はもとより被害者の身体部分についても左サイドミラーによつて十分確認することができたことが明白であり、同地点でも被害者及びその自転車が被告人車の死角内にあつたとの所論は到底採用できない。そして自動車とくに死角の大きい大型貨物自動車を運転して交差点を左折しようとする者は、自車左側方を併進し、かつ交差点を直進する自転車等が死角内に入り込む可能性のあることに留意し、方向指示器等による左折の合図等左折態勢に入る時点から、左側及び左後方をサイドミラーによつて注視し、現実に左折を開始した後の衝突の危険を防止する措置をとりうるよう、死角内に入り込むおそれのある人や自転車等の有無を確認して進行を続けるべき注意義務がある(殊に本件のように下水道工事等により通行帯が狭くなり、併進する人車が、自車運転台左側に近接することが容易に予想されるときは特段の注意をしなければならない)ところ、被告人は前示のように右義務を尽さず、被害者はもとよりその後続の永嶋をも見落した程の重大な不注意を犯し、そのためその後も左方及び左後方の死角内に人や自転車等はないと軽信し、時速一五キロメートルのまま左折を開始して前記事故を惹起したものであり、被告人の過失は明らかであるから、その趣旨に出でた原判決には所論のような事実誤認はない。
(二)所論は、さらに被害者の死因は本件事故による外傷性胸腔内臓器、特に左肺損傷への医療行為中に併発した肺炎及び肋膜下膿瘍によるものであり、その原因としては事故後二〇日位後の胸部手術の過誤も考えられるのに、原判決がたやすく胸腔内の右外傷性損傷と肺炎等による死の結果とに因果関係を認めたのは重大な事実の誤認である、というのである。
しかし前掲各証拠、ことに医師高津高洋他一名の作成した被害者の屍体解剖に基づく鑑定書によれば、本件事故により被害者は前記重量の大型貨物自動車の右前輪によつて轢過され、左肩胛骨々折、左第一、第二肋骨々折を伴う胸腔内臓器損傷、特に左肺損傷等の傷害を負い、その重篤な損傷から直接か、あるいはその治療のために行われた開胸手術等の医療行為中に併発したかのいずれかの、本件事故による左胸腔内の外傷性変化に関連して生じた肺炎及び左肋膜下膿瘍によつて死亡したことは明白であり、これら肺炎等の症状が本件外傷性臓器損傷からは通常予測できない特異の病症でないことも明らかであり、その他全記録に徴しても右認定を左右するに足るものは存しないから、本件事故と被害者の死の結果との間に相当因果関係の存することに疑いの余地はなく、これを否定する所論も採用できない。論旨はいずれも理由がない。
二、控訴趣意第二点(量刑不当の主張)について
所論は、本件事故について示談が成立し、被告人も十分改悛して自動車運転をやめ、被害者の冥福を祈りながら鋳型工として真面目に勤務していること等諸般の情状に鑑みると、被告人を禁錮八月に処した原判決の量刑は重過ぎて不当であり、刑の執行を猶予されたい、というのである。
そこで前掲証拠によつて検討すると、本件は、前示のように被告人が大型自動車の運転者として交通整理の行なわれていない交差点を左折するに当つて遵守すべき左方及び左後方の安全確認という基本的な注意義務を怠り、前途春秋に富む当時一八年の高校生であつた被害者を死亡させた、過失の内容、結果のともに大きい事故を惹起したものであつて、被害者の両親の悲嘆はもとより、白昼の無謀な運転として付近住民に与えた影響も大きく、被告人の刑責は重大といわなければならないから、被告人には昭和四三年七月業務上過失傷害罪で罰金五、〇〇〇円に処せられたほかはこれまで何らの前科犯歴はないこと、治療費、看護料のほか二、八〇〇万円を保険金から支払うことで被害者遺族との間で示談が成立していること、被告人は現在深く反省して自動車の運転をやめ、鋳型工として働き、被害者の両親の宥恕は得られないものの毎日曜日のように被害者の墓参りを続けていること、しかし妻と二人での生活は容易ではないこと等弁護人指摘の諸事情を被告人に有利に斟酌するとしても、既にこれらの犯情を十分考慮したと認められる原判決の量刑はやむを得ないものがあり、その刑の執行を猶予することはもとよりその刑期を減ずべき事情があるとし、その量刑が重過ぎて不当であるとすることはできない。論旨は理由がない。
よつて刑訴法三九六条に従い、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 小松正富 千葉和郎 鈴木勝利)